20日目:打ちもどり(大岐▶足摺岬▶大岐)

20日目:打ちもどり(大岐▶足摺岬▶大岐)

軽い荷で歩き出す

大岐の宿を出た朝、空は少し曇っていた。
これから暑くなる予報だが、今はすっきりとも言えない空模様。今日は足摺岬の金剛福寺を参拝し、また同じ宿に戻る予定だ。

宿の人が「預かっておきますよ」と自然に言ってくれたおかげで、思い切って身軽になれた。こういう一言があるだけで、気持ちがずいぶん楽になる。着替えも洗面道具も置いていく。荷物は最小限にした。

背中のザックは驚くほど軽く、肩への食い込みもほとんどない。
歩き始めてすぐ、「今日は全然違うな」と分かる。足取りが自然に前へ出るし、立ち止まる回数も少ない。荷物が軽いだけで、歩くリズムまで変わるものだ。

ただ、不思議なことに、軽すぎると少し落ち着かない。
いつも背負っている重さがない分、「何か忘れているんじゃないか」という感覚が、歩き出してからもしばらく残っていた。重さは負担であると同時に、安心でもあったのだと気づく。
 
 

足摺岬

道は昨日歩いた国道の続き。
景色は見覚えのある海岸線ばかりなのに、体が軽いせいか、受け取る印象は少し違う。登り坂も「こんなに短かったかな」と感じるほどだ。

途中、反対側から歩いてくる、同じく打ち戻りの歩き遍路さんとすれ違った。
自然と立ち止まり、少しだけ話をする。どこから来たのか、今日はどこまで行くのか。ほんの十数秒の会話だけれど、こういうやりとりがあると、不思議と気持ちが和らぐ。「気をつけて」と声を掛け合い、それぞれの方向へ進む。

やがて足摺岬に近づき、金剛福寺に到着した。
境内には独特の空気があり、ここまで歩いてきた距離を静かに受け止めてくれるようだった。

今日は打ち戻りだと分かっているせいか、ここから宿までの時間も簡単に計算できる。
そもそもこの打ち戻りルートにした理由は、前日に案内を見かけて、結局行かなかった真念庵のこと。
「やっぱり、ああいう場所は気になるんだな」と、今さらながら思う。
 
 

同じ道を戻るということ

参拝を終え、来た道を引き返す。
同じ道なのに、行きとは微妙に見え方が違うこともある。さっきは気づかなかった標識や、道のカーブ、海の見え方。往復することで、道が少し身近になる感じがした。

軽い荷物のまま歩く帰り道は、疲れよりも心地よさが勝っていた。
「もし毎日この重さで歩けたら、だいぶ違うだろうな」と思う一方で、やっぱりどこか落ち着かない。軽いのはいい。でも、軽すぎると心配にもなる。

夕方前、大岐の宿に戻る。
朝出たときと同じ場所、同じ建物、同じ部屋。でも、一度足摺岬まで行って戻ってきた分、ちゃんと一日分の疲れが体に残っている。
 
 

今日の学び

荷物を預かってもらったことで、体は軽くなった。でも同時に、重さがくれていた安心にも気づいた。
いつもあるものがないと心配になる、使わなくても。

 

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