#65 箸蔵

#65 箸蔵

翌朝。
一晩横になれば少しは良くなるかと思っていた足の痛みは殆ど変化も無く、とりあえず湿布を貼り菓子パンをかじって鎮痛剤を水で流し込んでみました。

当日は確か雨のち曇りの様な天候で、一時陽の出た時間もありましたが、概ねどんよりとした一日だったように思います。

5時過ぎに宿を出たものの、足を引き摺る様な歩き方で歩速はいつもの半分程度。湿布も鎮痛剤も効果が無く、時折走る激痛に何度も足が止まりました。
体が温まれば少しは痛みも和らぐかと思っていましたが、箸蔵寺への山道へ入るまで変化はありませんでした。

箸蔵山のロープウェイ手前、遮断機の無い踏切の階段に腰を下ろして一休み。サラサラと降り始めた弱い雨に催促される様に腰を上げて遍路道へ。
頭上を覆う木々が雨を遮り、濡れる事はほとんどありませんでした。道は割と急坂だった様に思います。

山道を前傾で登っている分にはほとんど痛みを感じない不思議な症状。果たしてどこまで行けるかと不安でしたが、なんとか仁王門前に出ました。

そこから幾つかの鳥居を潜って石段を上がり、8時少し前に御堂と納経所のある場所へ。
参拝の支度をしてお参りをと目の前の御堂を改めてよく見ると、本堂でも大師堂でもなさそうだと気付き、辺りをよく見ると右手に道が続きその先に鐘楼が見えました。

なるほどもう少し上かと再び荷物を背負って上がって行くと、今度は左手に随分と長い階段が現れました。
見ると一段一段に般若心経の文字が刻まれていて、そういえば今回巡る御寺のどこかにそんな場所があったなと思い出し、一段一段文字を唱えながら上がって行きました。

石段を上り切ると正面に金毘羅大権現をお祀りした本堂、左手奥に大師堂がありました。箸蔵寺の境内は立体的且つ広大で見応えがあります。

参拝を終え、納経所で雲辺寺までの道を確認して下りの遍路道へ。先ずは国道32号線を目指して箸蔵山を下山。地図には僅かな距離で約200mほど下る未舗装路の様に記されていたので、念の為にと持参したトレッキングシューズに履き替えました。
しかしこれが何とも不快で、足首を締め付けているせいか痛みが倍増し、こりゃたまらんと早々に元のランニングシューズへ履き替えました。

結局、国道へ出るまでの道は舗装路でしたが、割と急坂だったように思います。
下りの終盤、下から自転車を押しながら上がって来たお遍路さんと御挨拶。年配の外国の方でしたが、まさかここから箸蔵寺まで上がって行くのかと、その健脚に驚かされました。

後に気付いた事ですが、国道32号線だと思っていた道は「阿波別街道」とも呼ばれる県道5号線で、この道は少し先の野呂内口というバス停付近で県道6号線に接続し、そこから雲辺寺方面へ歩いて行きました。

山深い渓谷の間を分け入って行く様な道。
左手下を這う様に流れる鮎苦谷川と、時折、緑の中にレールを叩く音を響かせる土讃線の車両が見え隠れしていました。

以前、他のお遍路さんから箸蔵から坪尻にかけての土讃線からの景色がとても美しかったというお話を聞いていたので、なるほどこれは素晴らしい景色だろうと納得しました。

箸蔵寺から雲辺寺までおよそ19km。定期的に休憩を挟みながら緩やかに勾配を上げて行く道を進んでいました。11時頃、俄に雲が割れて晴れ間が覗き、足の痛みで沈んでいた気持ちを少し軽くしてくれました。

当日はこの後、雲辺寺から萩原寺へ下り大興寺から程近い「四国路」さんまでの行程。今思えば万全の体調であっても山道を含んだ40km以上というのは、やや無理のある行程でした。

朝方よりも足は動くようになってはいたものの、予定よりも大幅に遅れている事は明らかでした。
とぼとぼと歩きながら、このままでは萩原寺の納経所が閉まるまでに間に合わない。いやそもそも、この足で雲辺寺からの遍路道を下るのは無理かもしれないと思い始めていました。

歩きで降りるか、ロープウェイを使うか。

四国遍路を巡る上で乗り物は使わないという、戒というのかルールのようなものを自らに課してしました。
ロープウェイを使ってしまえばここまで通して来たそれを破ってしまう。しかし無理をして山中で動けなくなるのもまずく、更に今日で最終日ならまだしも明日以降も巡礼は続く。

どうするべきかと悩んでいた時、2年前に井戸寺の近くで道を教えて下さった方の「こだわりを捨てろ」という言葉が記憶から蘇ってきました。

これまで四国遍路に対してある種の"こだわり"を持っていたのかもしれません。
しかしそうした事も突き詰めて考えてみれば、結局は「わたし」という自我と他者との比較でしかなく、その比較分別が苦しみや悩み、憂いや囚われの原因になっているのではないかと。
それは人間の本能的な部分と、これまでの教育や経験などから刷り込まれて来たものなのかもしれないと。
そして、今まで本当の意味で自分を赦し受け入れていなかったんだと分かりました。

その時、「ああ、いいんだ、これでよかったんだ」と心の底から安堵の気持ちが広がり、暫く涙を流しながら歩きました。

雨気を含んだ柔らかい風が道沿いの山肌に自生する紫色の房状の花を揺らしていました。
この時の何かから解放されたような心持ちと風に乗る優しい藤の香りは、生涯忘れる事はないと思います。

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コメント

  1. 思った以上にアスファルトやコンクリート道は足に負担が掛かることを学びました。昔ながらの遍路道は土の道も多く、いくつも苦労してきたので遠回りでもつい車道を選びたくなってましたが逆でしたね。普段持たない荷物の重みのせいで関節や足裏の痛みに悩まされ、私も鎮痛薬を飲んでごまかしながら毎日歩いたのを思い出しました。
    こだわりはいろんな世界を知ることを制限しているのかも知れませんね。ルールを決めることで忍耐力やその達成感に満たされますが、反面でそれ以外の体験は味わえない。でもどちらも正解だと思います。

  2. @あの時の亀
    コメント有難う御座います。

    舗装路は一見歩き易そうで、実は足腰や関節などに負担をかけているのだと感じますね。
    鎮痛剤を使って騙し騙し歩くのは体に良くないと分かってはいるのですが、少しでも痛みが紛れるならと使ってしまっています。

    こだわりというのは難しいものですね。
    全く無くしてしまえば放逸で無節操になってしまいそうで、かといってこだわり過ぎれば思考や行動が制限され、それが迷いや悩みに繋がってしまうのではと感じています。
    お釈迦様の説かれた「中道」のように、何事もほどほどが良いのでしょうが、そのほどほどを見極めるのも難しいものです。

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