翌朝。いつものように午前3時頃に起床するも外はまだ暗い時刻で、カーテン越しに僅かな雨音が聞こえていました。
布団に入ったまま足先を動かしてみると、良くも悪くもなってはいない様子。右足首は前側の手のひらで覆えるくらいの範囲が少し熱を帯びて薄っすらと腫れている状態。左足は右足を庇って歩いた影響か、踵の少し上に右足と同じ様な症状が出ていました。
すぐに立ち上がるのを躊躇い、四つん這いで移動しながら出発の支度を始めました。
この日も湿布を貼り鎮痛剤を服用しましたが、効果が無い事は前日で分かっていたので、おまじない程度。
少しでも小降りの時に出られればと暫くタイミングを見ましたが結局それも見込めないかと諦め、ポンチョを被って宿を出ました。
天気予報は雨のち曇り。路面で跳ね上がる雨に少し風も出ていました。
歩き出すと前日にも増しての痛みに、宿から大興寺までの僅かな距離で何度も足が止まりました。
このまま歩けるのか
不安な気持ちは有りましたが、ともかく足が動くうちは歩こうと杖を前へ。
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大興寺に到着し仁王門を潜ると、参道脇には堂々たる楠の巨木。確か樹齢千年以上と記されていたと思います。
石段を上がり御堂の立つ場所へ着くと僅かに雨足が弱まり、先に参拝に訪れた方の香煙が漂っていました。
雨の御寺も風情があるなと、本堂の軒下で境内を見回しながら参拝の支度。
参拝を終えて再び石段を下り、先程の楠の幹に触れて御力を頂いてから次の札所へと向かいました。
大興寺から暫く歩くと行手に橋が見え、そのまま財田川という川を渡っていると対岸左手の大きな鳥居が目に入り、近づいて行くとそれが琴引八幡宮のものだと分かりました。そこから程なくして神恵院、観音寺へ到着。
こちらも境内中央に樹齢千年を超える楠の巨木が鎮座していました。
ニヶ寺の諸堂が建ち並ぶ境内は、これまでのどの御寺にも無い景観で、初めはどれがどの御寺の何堂か分からず行ったり来たりしましたが、よく見ればちゃんと案内がされていて札所順に本堂、大師堂と参拝する事が出来ました。
寛永通宝の砂絵の事などすっかり忘れて次の本山寺へ。気付いたのは区切り打ちを終えて帰宅してからでした。
川沿いを歩きながら朝方よりも動くようになった足を、医学的にはどんな症状なんだろうかと不思議に思っていました。
財田川を対岸へ渡り河原の道を抜けてもう一度川の反対側へ。前札所から4km程で本山寺到着。雨足は変わらず、境内に人影は見えませんでした。
仁王門を潜ると境内を囲う様に植えられた楠と、久しく目にしていなかった五重塔の姿。
諸堂が整然と並ぶ姿は調和の取れた一つの空間の様でした。
本山寺での参拝を終えて弥谷寺へ向かっている途中、朝から続いていた雨がポツリポツリと小降りになり、暫くして上がっていきました。
弥谷寺が在ると思しき山が行手に見え、時刻を確認するとギリギリ参拝出来るかというところ。ちょっと無理して行ってみようかと浮かんで来た助平心を「いやいや明日に回せ」と戒めて。
宿まであと少し。住宅街を抜け県道を歩いていると、荷台に草刈機を乗せた軽トラックが横で止まり、「乗ってく?」と有難いお言葉。
"お接待は断ってはいけない"とされていますが、まだ歩ける足ではあったので「お気持ちだけ頂きます」と感謝の意をお伝えして辞しました。
当日の宿「ふれあいパークみの」さんへ17時頃到着。大浴場にはアロエの薬湯があり、足の痛みに効きますようにと患部に擦り込みながらいつもより長めに湯船に浸かっていました。
コメント
巨木は気にしなければ「大きな木」くらいですが、樹齢千年をちゃんと考えるとすごいことです。毎年春夏には青い葉を付け秋冬に落ちる。これを千回以上繰り返し、特に四国遍路の札所となれば何人もの人がそれを見てきた。感慨深いですね。
@あの時の亀
コメント有難う御座います。
普段生活している環境では樹齢千年以上の木を目にする事など皆無なので、四国で出会った巨木の数々はよく覚えています。本当に凄い生命力ですよね。
仰る様に、一本の木を数多の人々が見て来たのと同じ様に、その木もまた人間世界の何世代もの移ろいを見て来たのでしょうね。
それぞれの時代で栄華を誇った人々も、今となっては誰一人としてその姿形を留めていないという事を木は知っているのだと思うと、本当に感慨深いですね。