#84 百八

#84 百八

ホテルを出ると、疎に立つ街灯の下以外は吸い込まれるような暗闇。時刻は6時半。
道路脇の電光掲示板「只今の気温」は「−3℃」を表示していました。

ホテルから大窪寺までおよそ14km。
初日に歩いて来た道を戻りながら、さていよいよかと、これまでの四国遍路の旅を改めて振り返っていました。

印象的な出来事は勿論ですが、一日一日の風景や何気無い事なども鮮明に思い出せたりします。

約2年半。
歩き始めた頃は途方も無い道程のように見えましたが、ここまで来てみれば、あっという間だった様にも感じます。

月並みな言葉ですが、一日一日、一歩一歩の積み重ねが、目標へ辿り着く唯一の道なのだと。

力石という場所で377号線から側道へ入り、小さな集落を抜けて多和竹屋敷へ。
そこから遍路道の道標に誘われて、あれよあれよという間に大窪寺仁王門前へ。

ここへ辿り着いた時、もっと何か込み上げてくるもの、涙の一粒でも出るかと思っていましたが、これまでの札所と変わる事のない心持ち。

これが通し打ちで巡っていたら、また違った心境だったのかも知れません。

いつも通り参拝を済ませて納経所へ。

納経帳をお渡して職員の方が開いたページ。
隣は月山神社の御朱印符。

それを見て、あぁ終わったんだと、この旅の終わりを実感しました。

各御堂を参拝し(残念ながら奥の院 胎蔵峰は改修中でした)最後に大師堂の内拝をさせて頂き、御堂内で線香を献じて般若心経を一唱。
仁王門前へ戻り合掌礼拝して御寺を後にしました。

大窪寺を後に白鳥温泉方面への下りへ。

野田屋さんの打ち込みうどんは気になるころでしたが、ここはぐっと堪えて通り過ぎ。

この九回目計画当初、八十窪さんも宿の一つとして考えていましたが、年末年始は休業されるとのことで、残念ながら今回は御縁がありませんでした。

時折、女体山や矢筈山の方を振り返りながら車道を下り、途中から遍路道へ。
八丁坂という短い登り下りもありましたが、概ね緩やかな下りを抜けて白鳥温泉へ。ここで暫しの休憩。

往時の賑わいを思わせる建物。
すぐ側の旅館も廃業されているのか、ひっそりとして人影も無く、この辺りは今後どうなって行くのだろうかと。

『気をつけてお帰りください
またのお越しをお待ちしております』

街灯の看板の文字が袖を引く様で、侘しさと物悲しさをより一層感じさせていました。

再び下り道を歩き出し、途中から側道を経由して132号線へ。

暫く行くと『與田寺→』の看板。
そこから4km程で八十八霊場総奥之院 與田寺へ到着。

門前や参道には出店の屋台が並ぶ年末年始の様相。
境内へ入り本堂大師堂と参拝し、右手奥のお砂踏みを回って納経所へ。

朱い印と墨書で埋められていく納経帳の最終ページ。

参拝出来ていない奥之院や番外霊場など多々ありますが、四国霊場百八ヶ寺 徒歩巡礼の旅はここで一区切りとしました。

途中、足を痛めてしまった事もありましたが、大きな怪我なく無事終えられた事は本当に有難い事です。

そして「私が巡った」のでは無く、
眼で見、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、舌で味わい、肌に感じ、心に思う事。

そうしたあらゆる一切に、ここまで運んで頂いたという事。

ただただ感謝しかありません。

"死ぬまでにはいつか"と思っていた四国遍路。

心身共に疲れ果てていた時、不思議な仏縁を頂いて巡礼の旅へ出る事となりましたが、
今思えば、正にあのタイミングだったんだと深く頷けます。

四国巡礼の旅はここで終わりとなりますが、お遍路を歩いていない日常の生活もまた旅そのものであり、そこに境目のようなものは無いと感じています。

『人生即遍路』

今、山頭火の句が、より一層深い味わいを持って心に響いています。

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コメント

  1. 結願おめでとうございます。そして大変お疲れ様でした。これまでの旅日記を毎回楽しく読ませていただきました。自分ごとのようにオーバーラップする事もあれば、新しい発見や共感をすることもあり、やはり人それぞれに遍路体験があることを知りました。もちろん自分もまた巡る機会があれば、前回とは違う体験をすることになるでしょうし、前回と同じ考え方にはならないのだろうとも思います。
    シナリオのない人との出会い、体の痛み、この年になっても初めて知るもの、自分の弱さなど、この他にも遍路ではいろんなことが起こります。
    大窪寺でのフィナーレが感動的に薄いと皆が言うのも、やはりそれが本当のゴールではないということなんだろうなと感じました。

  2. @あの時の亀
    コメント有難う御座います。

    拙い投稿に毎回コメントを下さり、本当に有難う御座います。とても励みになっています。

    大窪寺が本当のゴールではないというお言葉、正にそんな感覚でした。
    何をもってゴールとするかは人それぞれだと思いますが、何度も巡られる方の理由の一つは、そう感じたからかも知れませんね。

    同じ道、同じ景色でも、巡る度に前回とは違った印象を受けたり、感じたり考えたりする事も変わっていくと思うので、何回巡っても初回の様な新鮮さがあるのかも知れませんね。

    長々とこの場所をお借りしてしまい本当に恐縮しておりますが、もう少し続きを書こうと思いますので、今暫くのお目汚しをお許し下さい。

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