
與田寺を後に讃岐白鳥駅近くのホテルAZさんへ向かいました。
宿入り前に近くのマルナカさんへ入り、年の瀬の買い物客で賑わう店内を回りながら、夕食と朝食の買い出し。
お遍路中、マルナカさんにはさんざんお世話になりましたが、これが最後になるだろうかと。
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翌朝8時に出発。
四国遍路における「ゴール」というのも人それぞれだと思いますが、私としては一番札所霊山寺へ戻ってみたいという思いがありました。
出発から1時間程。
引田駅近くでそろそろ休憩をと駅前の東屋の下へ入ると、ぽつりぽつりと雨。
頭上を覆う分厚い灰色の雲はゆっくりと東の方へ流れていたので、そのうち止むだろうと気楽に構えていましたが、雨足は徐々に強まり本降りに。
そのまま1時間半、東屋の下で様子を窺っていましたが、雨足は弱まるどころか土砂降りに変わり、これは諦めて電車で霊山寺かなと考えていると、俄かにピタリと止みました。
よしそれならと、腰を上げ大坂峠へ向けて。
海沿いを進んでいると前方にそれらしい山が迫り、遍路の道標に誘われて峠の入り口へ。
雨宿りで冷えた体も峠までの道で暖まり、ここからは暑くなりそうだと上着を脱いで峠道へ。
下から1時間程で峠の頂上近くへ。
ここで左右に分かれる分岐があるのですが、地図と立札をよく確認しないまま、右の「大坂峠休憩所」方面へ進んでしまいました。
霊山寺や金泉寺へ向かうなら、左の「大阪口御番所跡」方面へ降りるのが正解です。
頂上からの景色を堪能して更に先へ進んで行きましたが、確か地図では左に降りて行っていたようなと改めて確認すると、先程の分岐で間違えていた事に気付き、やれやれと自分のおっちょこちょいを笑いながら道を戻って。
霊山寺方面へ降りて行くと途中から舗装路へ出て後、石柱の道標に従って「ベタノ谷」を通る道へ。
舗装路から未舗装路へと移っていきますが、拳大の石や砂利、大量の落ち葉が散乱したままになっていて、車通りも少ないのか、あまり整備されていない様子。
不法投棄禁止の看板が目立ち、少し不穏な空気の漂う道でした。
天候はコロコロと変わり、晴れから曇り、少し雨がパラつく事も。
ベタノ谷の極緩い下りを3km程降りて41号線へ。ここからは少しの登り。
最後まで楽は無い。さすが四国さんです。
この辺りで風が一層強まり空が鳴り始め、残り気だった雲も一掃されて冬の澄んだ青空が戻ってきました。
14時半頃、霊山寺奥之院の大麻比古神社に到着。
参拝を済ませて長い参道をゆっくりと歩き、15時、霊山寺到着。
大窪寺同様、特別な感情も無く、山門を潜り境内へ。
手水舎、鐘楼、本堂、大師堂と巡ると、2年半前の四国遍路初日、どこに荷物を置いてどこに立っていたか、その場その場で自分の姿がくっきりと浮かび上がって来る様でした。
この日の宿は「お遍路ハウス門前一番通り」さん。
お遍路初日、何も知らない私に四国遍路のイロハを丁寧に御教授下さった宿主の高原道隆さんは、勝手ながら四国遍路の師と仰いでいます。
結願の暁には御挨拶が出来ればと思っていましたが、有難い事にこの時期に宿を開けて下さっていました。
霊山寺山門を出て直進200m程、突き当たりの右角。お元気だろうかと、少し緊張しながら呼び鈴を押してみました。
暫くしても反応がないので玄関扉を引いてみると、意外にも鍵が開いていて「すみません」と声をかけると、2階から「少し待って」と英語で返事の声。
玄関の中へお邪魔して待っていると、年配の男性が降りて来られ、御対応下さいました。
お話を聞くと今の宿主さんのようで、「中へどうぞ」と2階の部屋へ御案内頂き宿帳へ記入。
その後、現宿主さんのお話から、高原さんはこのゲストハウスの運営をこちらの方に託され、ご自身は引退してすぐ近くにお住まいで、今は霊山寺にお勤めされているとの事でした。
出来ればお会いして結願の御報告とお礼をお伝えしたいところでしたが、ご健在である事を知る事が出来た、それだけで十分だと思いました。
コメント
結願後、私も霊山寺に戻り、旅の振り返りやスタートの時のことを思い返しましたが、懐かしさでもなく、嬉しさでもなく、寂しさでもなく、いまでも適切な言葉が見つかりません。ただ、心躍る小さな興奮はあったような気もします。
@あの時の亀
コメント有難う御座います。
私も霊山寺に着いて、あの日どんな心境だったかなど、色々と思い出す事はありましたが、感動や達成感といったものは感じなかったように思います。
今、改めて四国遍路の旅を想い返していますが、本当に四国を歩いて巡ったのかと、何か自分事では無いような不思議な感覚になっています。