心の旅
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心の旅

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12月29日から1月3日の期間で区切り打ちの続き、松山から西条の五十一番から六十四番までを歩いてきました。
3日目に少し雨空があったものの、それ以外は概ね晴れて厳しい冷え込みも無く穏やかな気候の中を歩く事が出来ました。

道中では瀬戸内のたおやかな海に癒され、山寺への道で遍路へ戻って来たのだという思いに浸り無事前神寺まで打ち終える事が出来ましたが、御存知の様に年始早々大地震が発生し翌日には目を疑う様な航空機事故と、立て続けに心がざわつく様な出来事がありました。

今回の道中では或る禅寺に立ち寄りましたが、僧坊の上がり口の台に据えられた板木の言葉に改めて色々と思うところがありました。

生死事大 光陰可惜
無常迅速 時不待人

生まれて死ぬことは一大事
僅かな時間も無駄にしてはならない
物事の移ろいは早く 
時は人を待ってはくれない

ざっとこんな意味だったと思います。(御興味のある方は是非お調べ下さい。)

今日できる事を明日に延ばす。それが良い場合もあります。
一方で確実に時は刻一刻と過ぎ去り出来たはずの事もいつの間にか出来ずに終わってしまう、という事もあります。
年始の出来事に、死は”いつかやって来る”のでは無く”いつでもやって来る”という或る故人の言葉を想いました。

死ぬまでにはと想っていた四国遍路。区切り打ちを始めてから3年目に入り、順調に運べば年末頃には高野山へ上がる事が出来るのかもしれません。
が、そんな皮算用的な話はともかく、目前の一歩がその先へと続いていくのだと身に銘じて。
まだまだあっちへこっちへと散らかる心を少しでも納めていけるように。

四国路や 心の旅に 出でにけり

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投稿者

コメント

  1. 私もたまに時について考える事があります。何を信じるかは人それぞれだし、それが合っているかの答え合わせもできません。ただ、時をムダにしないよう思うだけでなく行動することが大事だと思っています。

  2. @考え中
    コメント有難う御座います。

    “時間を無駄にしない”
    分かっていてもなかなか難しいものですね。
    仰る通り何を芯として生きても正誤は無いと思います。
    ただ、今、ここに在る。
    ただそれだけだと思っています。

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