3日目:急坂で悟った「一歩ずつ」の意味(藤井寺▶焼山寺)

3日目:急坂で悟った「一歩ずつ」の意味(藤井寺▶焼山寺)

朝から不安いっぱいでスタート

7時に出発するつもりで準備していたが、思ったより早く支度が終わってしまった。
部屋でゴロゴロしていても余計に緊張してきて、「どうせなら早めに行こう」と思い直す。
せっかくの時間を無駄にしたくなかったので、予定を繰り上げて6時半に出発した。

藤井寺近くの宿を出た瞬間から、正直もう緊張していた。今日は「遍路ころがし」と呼ばれる焼山寺への山道。
調べたブログには「地獄だった」「心が折れた」と書いてあるのもあれば、「ぜんぜん平気だった」「拍子抜けした」という人もいる。人によって全然違うらしい。果たして自分はどっちに当てはまるのか・・・歩き出す前から妙にビビっていた。
 
 

フラフラしながらの山道

藤井寺の境内奥から登り始め、いきなり急坂が続く。土の道はコケや落ち葉で滑りやすい。スタート直後の数百メートル進んだだけで息が切れ、すでに足が重い。

中盤に入っても容赦はなく、坂道が終わったと思えばまた次の急登。どこが遍路ころがしなのか分からないくらい、しんどい箇所が何度も現れる。石段をよじ登るような場所もあり、立ち止まる回数がどんどん増えていった。途中で同じようにフラフラになっていたおじさん遍路さんを追い抜く際に「キツいっすね…」と声をかけ合ったのが、ほんの少しの救いだった。

終盤もいくつか休憩できる所があったけれど、腰を下ろすと動けなくなりそうで、時間ももったいない気がして素通りしてしまった。本当は休憩したかった。けれど足を止める勇気が出ず、歩きながらコンビニおにぎりを頬張った。二つ用意していたが、あっという間に食べ終えてしまい、「あと二つくらい欲しかった」と思うほど。登り坂で息を切らしながら食べるおにぎりは、普段の何倍もうまかった。
 
 

やっとの思いで焼山寺に到着

どれだけ歩いたのか、時間の感覚がもうなくなっていた。時計を見ても頭に入らず、ただ延々と坂を登り続けた。景色は似たような山道ばかりで、「あとどれくらい?」という見通しもまったく立たない。足を一歩前に出すたびに体が悲鳴をあげ、もう考える余裕もなかった。

そんなとき、視界の先にようやく焼山寺の参道が見えた。思わず「うわっ」と声が出てしまった。安堵というより、驚きに近い感覚だった。胸の奥がじんわり熱くなり、涙がにじむくらいホッとした。

本堂で手を合わせながら、「よくここまで来たな」と自分に言い聞かせる。大げさじゃなく、これまでの人生で一番頑張った一日だったのかもしれない。スタート地点に戻らない山登りなんて経験がなく、体力にも自信がない自分が、本当にここまでたどり着けたことが信じられなかった。

境内に目を向けると、車で来たお遍路さんたちが涼しげな顔でお参りしていた。こっちはシャツがぐっしょりで息も絶え絶えなのに、向こうは落ち着いた様子でお線香をあげている。逆に「車の道ってどんな感じなんだろう?」と気になった。山道は歩いてもこれだけしんどいのに、車で登ってくるのも大変だったんじゃないかと思うと、素直に感心した。そんなことを考えながら、焼山寺をあとにして山を下っていった。
 
 

今日の学び

焼山寺までの山道は自分的には「きつかった」という感想。体力的にもそうだが、どちらかというと「いつ着くんだろう」と時間的な余裕がなくなっていくのがしんどかった。それでも足を止めずに一歩一歩に集中しているうちに、不思議と頭の中が静かになっていった。
山をいくつも超えた先という大きな目標を考えれば「まだこんなに残ってる」と気が遠くなるけれど、「次の一歩」に意識を置くだけなら案外やれる。普段から「一歩ずつ」なんて言葉も使ったりもするが、まさにこれ。そう気づいたとき、歩き遍路が修行と呼ばれる理由が少し分かった気がした。

 
 

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コメント

  1. 焼山寺の記事、共感するところが多々ありました。
    自分も焼山寺アタックの前日は、足がこの時点でマメだらけだったこともあり、こんなんで歩けるのかと緊張でなかなか眠れなかった感じです。
    道の途中でスイスイ登ってきたベテランお遍路のおじさんに追い抜かれたとき、焼山寺まであとどれぐらいですか?と聞いた際に、まだ4分の1も進んでないと言われたときの精神的ショックは今でもわすれません。

  2. @ひろ(歩き)
    コメントありがとうございます。
    山深い道を延々一人で歩いていて、本当にこの道で合っているのか終始心配で、道しるべや枝にぶら下がった応援札を見つけるたびにホッとしていました。

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