
鶴林寺への急登に朝から息切れ
朝はまだ薄暗いうちに宿を出た。宿の前からすぐに山が立ちはだかっていて、「今日は最初から試練だな」と思わず苦笑いする。地図では急勾配だと分かっていたけれど、実際に歩き始めると想像以上にきつい。
細い石段が延々と続き、木々の間を縫うような道は一歩一歩が重労働だ。リュックが肩に食い込み、息が荒くなる。途中で腰を下ろしたい気持ちを必死でこらえながら進んでいく。ようやく山門が見えたときは、胸の奥から安堵のため息がもれて、「やっとたどり着いた」という実感が体の芯まで広がった。
同じ高さを二度登るという苦行
鶴林寺を登り切った達成感もつかの間、道はすぐに山を下り始める。せっかくここまで登ったのに、あっという間に標高を失っていく感覚に「もったいないな…」と心が折れそうになる。あっけなく麓の集落まで降りてしまうと、次は目の前にそびえる太龍寺の山。地図を見れば、さっきとほぼ同じ高さまで再び登り直すことになる。
登り口に立った瞬間から足が重く、背中のリュックが余計にのしかかってくる。坂道は容赦なく続き、呼吸はすぐ荒くなった。途中で「この繰り返しがまだまだ先もあるのか」と考えると気が遠くなりそうになるが、とにかく目の前の一歩に集中するしかない。
それでも山道の途中、木々の隙間から差す光や小さな沢の音に救われる瞬間もあった。休憩のたびに水を口に含み、何とか足を前へ出す。やがて視界の先に太龍寺の山門が見えたとき、「ついに着いた」と胸が高鳴った。だが、そこからがまだ遠かった。坂道は延々と続き、気力を試されるようにゴールを焦らしてくる。苦行のような奮闘の末に、ようやく本堂にたどり着いたときの安堵感は、全身の力が抜け落ちるほどだった。
車遍路へのまなざしと小さな峠
太龍寺を出て、ロープウェイには乗らず車道を下っていった。せっかくここまで登ってきたのだから、「まだ乗り物に頼らず、自分の足で完結したい」という思いが勝ったのだ。長い下り坂は一見楽そうに見えるけれど、実際は膝や太ももにじわじわ負担がかかる。単調なアスファルトの道を歩いていると、ときおり車遍路の車が追い抜いていく。自分とはまったく違う速さで同じ札所を巡っている。その対比に少し気持ちが揺れるが、「自分は自分の歩き方を選んでいる」と言い聞かせながら足を運んだ。
やがて「大根峠」と呼ばれる小さな峠道に差しかかる。登り始めると足にはしっかりと堪える。焼山寺や鶴林寺に比べればかわいいものだけれど、やっぱり峠は楽ではない。静かな山道を登りきり、下り坂を抜けるとしばらく川沿いの平地を歩くと平等寺の山門が見えてきた。石段を上がり、手を合わせたとき、今日もまたひとつ自分の力で区切りをつけられた気がした。
平等寺から由岐へ、海を目指して
平等寺を出ると、しばらく車の通りが少ない静かな県道沿いの道を歩く。ここまで山道を何度も登り下りしてきたあとだから、平坦なアスファルトがむしろありがたい。けれど足の裏はすでに火照っていて、同じ動きを繰り返すごとにじんじんと痛みが増していく。いくつかの民家を横目に歩き続け、その先のさみしげな山間の道へと続いた。やがて緩やかに下ったあと猛スピードで車やトラックが走っている国道55号に合流した。
「今日の終点は由岐」と頭では分かっていても、思った以上に道のりは長い。車ならあっという間の距離なのに、歩くと一歩一歩が果てしなく感じる。それでも潮の匂いが混じった風が頬をなでると、確かに海が近づいているのを実感できて、不思議と力が湧いてくる。
夕暮れが迫るころ、ようやく由岐の町並みが見えてきた。山間を抜けてきた体に、港町の明かりがあたたかく感じられる。宿にたどり着いたときには、ただ「海まで来た」という達成感が心を満たしていた。
今日の学び
山を越えて、川を渡り、そしてついに海の町まで歩いてきた。地図の上では一本の線でつながっているだけだけれど、実際に自分の足でたどると、風の匂いや町の空気が少しずつ変わっていくのが肌で分かる。どんなに長い距離でも、「歩けば必ず景色は変わる」という当たり前のことを、あらためて実感した一日だった。


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