
遍路原理主義?
私が初めて遍路を歩いた時の話。
ある宿の夕食で、70代と思しき男性が若者に向かって説教を垂れていました。
「なんであんた等はバックパッカーのような格好で遍路しているのか?
遍路ならばちゃんと白衣を着て、笠をかぶり、金剛杖を持って歩かんか!」
若者が何か反論して、ますます老人はエキサイトする様子だったので
宿の人がなだめていましたが、嫌な雰囲気の夕食となりました。
因みにその老人は車遍路のグループで、酒も飲んでいたようでした。
その後もこの老人のような人たちに出会いましたが、私は彼らを
「遍路原理主義者」と名付けることにしました。
そもそも、遍路の正装=「白衣」は昔からそうだったのか?庶民が金のかかる白衣等をわざわざ揃えたのだろうか?
気になって色々調べてみました。
1.白衣が一般的に普及したのは戦後の1958年ごろから
遍路バスツアーのユニフォームとして、バス会社が勧めたのがきっかけ
2.「逆打ち」もバス会社のツアー企画として1960年代に提案され、一般化
それまでは先達さんや一部の愛好者が趣味で試みていただけだった
巡礼4回分のご利益が有るとは、その時の企画で後付けのこじつけに過ぎない
3.遍路が「般若心経」を一般的に唱えるようになったのは戦後になってから
それ以前は御詠歌が主流。識字率の低かった昔は、漢字の般若心経より御詠歌の方が覚えやすかった
このように白衣は、長い遍路の歴史から見れば新しいスタイルで、しかも多分に
商業ベースに乗ったスタイルなのです。
よって遍路原理主義者が主張する「白衣」であるべきという根拠は弱いと思います。
参考資料
http://tono202.livedoor.blog/archives/7522552.html
https://globe.asahi.com/article/11629409
コメント
はいはい
いますねぇ
遍路原理主義者
そこまで言わんでも、ええのにって、思います。
遍路うんちくを自慢げに話す人。
また先達で多いのが、納め札の色を自慢する人。とりあえず「凄いですねぇ」って返答し、先を急ぎますと言って、その人が離れるようにしてます(笑)
納め札の色や、納経帳のハンコの数にこだわるのは「執着」の極みなのですが、そういう人が般若心経を唱えても、「おまいう」ですね。
私は、初心者?で、形から入るのは
ありかなとは思います。
でも、なかなか一緒に行きましょうとは、誘いにくくて。
私は、全部購入してないけど
なかなかお金、かかりますもん。行くまでに(*_*)
遍路してます、と話始めると
へ〜杖ついて、白いの着て、傘被って
とか、言われたら
いやいや
なくても、歩けますよ
と、言ったこともありますね。