4日目:遠回り町ルートと札所のリズム(焼山寺▶徳島駅前)

4日目:遠回り町ルートと札所のリズム(焼山寺▶徳島駅前)

集落を抜けて遠回りルートへ

昨日は焼山寺を下ったところの宿に泊まり、今朝はそこからスタート。
遍路道は2つあったけれど、あえて遠回りの町を通るルートを選んだ。昨日の山道は、一歩一歩足元に集中して気を抜く余裕もなかった。だから今日は、少しぼんやり考え事をしながら歩ける車道を行きたかった。山ばかりだと孤独が強いし、人の気配も恋しかった。

集落の細い道を抜けると、洗濯物を干す家や畑仕事をしているおじいさんの姿が目に入る。軽トラがすれ違うときに運転手さんが軽く会釈してくれて、それだけで「この土地に受け入れられてる」ように感じた。人の暮らしを間近に感じながら歩けるのは、山道にはない安心感だった。
 
 

道の駅で交わしたひと言

途中、コンビニに立ち寄った。ベンチに腰を下ろしてパンをかじっていると、車遍路で立ち寄っていた夫婦らしき人がこちらを見て「お遍路さん?」と声をかけてくれた。「昨日、焼山寺を越えてきました」と答えると、「そりゃ大変やったね、よく歩いたね」と言ってくれた。その一言だけで、足の重さがほんの少し軽くなった気がした。

普段なら何でもない世間話のやりとり。でも、山道で誰とも話さずにひたすら黙々と歩いてきたあとだと、ほんの短い会話でも胸に沁みる。アスファルトの硬さで足裏はじんじんしていたけれど、町の景色や人の温かさが単調な道のしんどさを中和してくれる。

思えば、比較的田舎の部類に入るかもしれない地元でさえ、普段の生活では道端で知らない人と話すなんてほぼない。それが当たり前だと思っていた。だからこそ、この「見知らぬ人からのひと言」がやたらと心に残った。

遠回りしてでも町を通るルートにして良かったと心から思えた瞬間だった。
 
 

札所が近い不思議なリズム

午後はいくつかの札所をお参りした。驚いたのは、お寺同士の間隔がとても短いこと。数十分も歩けば次の山門が現れ、「あれ、もう着いた?」と拍子抜けするくらいだった。昨日の果てしない山道と比べると極端にテンポが違い、むしろこのアンバランスさが面白かった。

平地のお寺は境内も広々していて、地域の日常と隣り合わせにある雰囲気。線香をあげていると、小学生の下校グループが「こんにちは」と声をそろえてくれる。そんな小さなやりとりが、山での孤独な時間とは違う温かさをくれた。

それでも歩く距離は長く、脚はじわじわ鉛のように重くなっていった。昨日の焼山寺で力を出し切った影響がまだ残っていて、平地なのに思うように足が進まない。頭では「今日は楽な道」と分かっていても、体は正直で、坂でなくても足取りは重かった。
加えて札所の間隔が短く、一つひとつで時間を取られ、気づけば日暮れ近くまで歩き詰め。ようやく徳島駅前に着いたときには真っ暗で、計画の難しさを痛感した。歩き遍路はただ足を動かすだけじゃなく、体力と時間の両方をどう配分するかが大事なんだと実感する。

民宿の温かさもいいけれど、今夜のビジネスホテルのシャワーとベッドには正直救われた。
 
 

今日の学び

遍路道にはいくつかルートがあり、「近道=正解」とは限らない。遠回りをしたからこそ人の暮らしに触れ、声をかけてもらう温かさを感じられた。さらに札所の間隔が短い区間では歩きと参拝のリズムが心地よく、昨日の山道とは違った面白さも味わえた。
一方で、昨日までとは逆に時間が足りず「時間のやりくりが難しい」と痛感した。歩き遍路はただ足を動かすだけじゃなく、体力と時間の両方をどう配分するかが試される旅なんだと、少し学んだ気がする。
 
 

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