9日目:飽きるほど見た海に癒される(佐喜浜の先▶吉良川)

9日目:飽きるほど見た海に癒される(佐喜浜の先▶吉良川)

室戸岬と最御崎寺

朝、宿を出ると、わかっていたが昨日と同じような風景が広がっていた。右に海、左に山、前にはゆるやかに続く国道。歩けど歩けど景色がほとんど変わらず、時間が止まったような感覚に陥る。波の音と足音だけが一定のリズムで続き、まるでジムのルームランナーを歩いているような錯覚。
やがて、ようやく最御崎寺の登り口にたどり着いた。ここからの坂がまたきつかった。参道は石段と坂道が入り混じり、息を切らしながら一段ずつ登っていくと、突如として山門が現れた。境内に入り本堂を前にして立つと、まさに「四国の果てに来た」という実感がこみ上げた。
帰りは車道を歩いた。山上から見下ろす海は、光を受けてまぶしく輝き、思わず息をのんだ。あれほど辛かった上り坂が、一瞬で報われるような絶景だった。
 
 

津照寺と漁師町

最御崎寺を後にし、しばらく海沿いを歩くと津照寺に着いた。こじんまりとした境内ながら、どこか落ち着く空気があった。参拝を終え階段を下ると、漁港の町は静かで、漁船こそたくさんあったが人の気配が薄く、それがかえって秘密基地のような雰囲気を漂わせ、港町特有の生活の息づかいを感じる。
そのまま再び国道へ戻り、ひたすら北へ。海は左手にあるはずなのに、堤防や建物に遮られて、その姿はほとんど見えない。その単調さにまた気持ちが削がれた。旅の中でも「飽きる」という感覚があることを、この日初めて知った。
 
 

金剛頂寺と吉良川の町並み

午後、本日最後の難関・金剛頂寺への登道に入る。勾配はきつく、木々の間からの光がほとんど届かない。ようやく境内に着いたときには、体よりも心が先に限界を迎えていた。境内は静かで風が心地よい。「よくここまで来たな」と自分をねぎらってくれるような落ち着いた場所だった。
参拝を終えて下山する道は、さらに険しかった。日が差さない細い山道を慎重に下り、ようやく視界が開けたと思ったら、目の前には海が広がっていた。波の音を聞いた瞬間、肩の力がふっと抜けた。なぜだか分からないけれど、海を見るとほっとした。もう何度も見て、正直飽きるほどの景色なのに、それでもやっぱり海を前にすると安心する。悶々とする思いを全部受け止めてくれるような気がした。
その海沿いを国道に戻って歩き続けると、やがて吉良川の町並みが見えてくる。黒い瓦屋根と土壁の古い家々が続く通りを歩くと、まるで時間が巻き戻ったような錯覚に陥る。宿に着くころには、空が赤く染まり始めていた。
 
 

今日の学び

あんなに見飽きたと思っていた海なのに、最後はやっぱり海を見てホッとした。休みの日にふらっと海へ行きたくなるのは、きっと本能みたいなものなんだろう。
そういえば「空海」にも“海”の字がある。深い意味までは分からないけれど、なんとなく、そういうものなんだろうなと思った。
 
 

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