
田んぼと川沿い、三つの札所
野市の宿を出たのは朝の8時ごろ。空は薄く曇っていて、風もなく静かな朝だった。まず目指すのは大日寺。
歩いているとふと「そういえば徳島にも大日寺ってがあったよな…」と思い出し、脳が少し混乱する。札所の名前が重なるのは分かっていたけれど、実際に巡っているとややこしい。朝露のついた石畳を登った先にある境内はひっそりとしていた。
参拝を終え、次の国分寺へ。
道中は川沿いの細い道や田んぼのわきを抜ける静かで心地よいルートだった。川の水音、風に揺れる草の音、田舎の匂い。そういえば国分寺も徳島にあったし「そういえば国分寺もか」と苦笑いする。けれど、高知の国分寺はどこか親しみやすい雰囲気だった。
国分寺を出ると、次第に空気が少しずつ変わっていく。田んぼが減り、車が増え、信号機や住宅街が現れる。「ここからが高知市か」と思うと、初めて来た土地なのに、なぜかちょっと嬉しかった。善楽寺はそんな街の入口のような場所にあった。観光客の声が聞こえ、バスや車が境内の前を通り過ぎる。山の寺とは違って、生活の音が近くにあるお寺だった。
高知駅前
善楽寺から今晩泊まる高知駅前までは、市街地を横切るように歩く。車通りが一気に増え、久しぶりの排ガスの匂いが鼻に刺さる。正式な遍路姿ではないが、街の交差点に立っていると自分だけ別世界から来たような気分になる。信号を待ちながら、隣に並んだ学生やスーツ姿の人たちの姿を眺めていると、「街の時間」と「遍路の時間」の間に自分が立っているような、不思議な境界線を踏んでいる感じがした。けれど、その違和感は不思議と嫌じゃかった。
夕方、高知駅前のビジネスホテルに到着。駅前のいろんな音、コンビニの明かり、人の多さ。数日前の徳島駅前を思い出す。チェックインして部屋に入ると畳ではなく白いシーツのベッドが広がっていた。無機質な部屋なのに、自由な感じがなんだか気楽で心地よかった。
今日の学び
今夜の宿は食事が付かないので外食をした。ここ数日、宿では魚定食のようなおかずや小鉢の煮物に味噌汁といったものが多かったので、湯気の立つラーメン屋を目の前にした瞬間、思わず入ってしまった。脂っこいスープも、噛むたびに肉の旨味が染み出すチャーシューも、熱々の餃子も、全部がやけにうまい。
この安心感、どこか日常の匂いがして、「ああ、普段の生活ってこんな感じだったな」と一瞬だけ思い出した。でも同時に、もう体も頭も「お遍路モード」になっている自分にも気づいた。


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