
朝の出発と那佐湾の景色
朝の体調は意外と良く、足取りも軽かった。宿を出てしばらく進むと、目の前に広がったのは那佐湾の静かな海。旅番組で見るどこか異国の景色のようで、その穏やかな青さにしばらく見とれてしまう。けれど歩く速度では風景はほとんど動かず、美しいはずなのに時間の感覚が薄れていくようだった。やがてトンネルを抜けると県境の看板が現れ、高知県に入ったことを知らせてくれる。徳島での日々がここで終わるのだと理解した瞬間、胸に浮かんだのは達成感よりも「もう1つ目の県が終わってしまったのか」という拍子抜けの思いだった。まだ何ひとつ慣れた気がしないまま、徳島を後にすることになるとは。
国道をひたすら歩き、孤独と圧迫感
道の駅でおにぎりとパンを買った。コンビニの大量生産品ではなく、どこか手作りの温かみを感じる品で、それだけで少し嬉しくなる。けれど「立ち止まれば遅れる」という焦りがあり、腰を下ろさず歩きながら口にした。野根地区を過ぎると、景色は一変する。右手には切り立った山、左手には波打つ海、その間を貫く一本の国道。開放的な風景のはずなのに、不思議と体が押し潰されるような圧迫感を覚える。車は時折通るが、歩く人の姿はなく、振り返っても前を見ても自分ひとりだけ。一本道を延々と進むうちに、「自分はここで何をしているんだろう」と心がふと宙に浮かぶような感覚に襲われた。まるで孤独そのものを歩いているような時間だった。
佐喜浜を抜け、ようやく宿へ
やっと佐喜浜の町に入ったときは、胸の奥からほっとする息が漏れた。国道から外れて近道の生活道路に入ると、海沿いの家々や畑の景色が広がり、それだけで救われるような気持ちになる。けれど、その選択が裏目に出た。後から知ったのは、国道沿いに小さな売店があり、そこで食べ物を買い足せたということ。ほんの少しの近道を良かれと選んだせいで補給のチャンスを逃してしまった。実際、この区間は休憩できる場所もほとんどなく、ただひたすら歩き続けるしかなかった。道端で腰を下ろす場所を探しても見つからず、仮に見つけても地元の人の目が気になって座れない。結局、立ち止まらずに足を動かし続けるしかなかった。その結果、予定より早く宿に着いたものの、得られたのは達成感よりも強い疲労感、それも体よりも心の疲れだった。部屋に腰を下ろした瞬間、「今日は一体なんだったんだろう」と、不思議な虚脱感に包まれた。
今日の学び
「近道=得」とは限らないことを知る。わずかな距離を節約しようと選んだ道で、補給の機会を逃し、結果的に心身の余裕を失った。遠回りであっても、人の暮らしや休める場がある道の方が、歩き続ける力になることを学んだ。


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