11日目:ただ歩くことだけを考えた(唐浜▶野市)

11日目:ただ歩くことだけを考えた(唐浜▶野市)

静かな堤防と、缶コーヒーのうまさ

唐浜の宿を出て少し歩くと、道の駅「大山」に着いた。朝早すぎたのか、建物は閉まっていて、人の姿も車の姿もない。静まり返った駐車場脇に腰を下ろし、缶コーヒーを開けた。ただの冷たい缶コーヒーなのに、歩き始めの体に染み渡っていく感じがして妙にうまい。誰もいない道の駅で缶コーヒーを飲んでいる自分が自分で無いようで不思議な感じ。ひと息ついて、再び歩きはじめた。

そこからは海沿いの堤防道へ。聞こえるのは自分の足音と鼻息だけ。波の音すら風にかき消されて、世界から音が消えたように感じる。しばらくすると、遠くでカタン、と線路の音がして、1両のローカル電車がゆっくりと通り過ぎていった。誰も乗っていないように見える小さな電車が少し向こうを走っていくのが、妙に旅情を誘った。
 
 

安芸の町並みと、自転車道の静けさ

やがて安芸市に入る。阪神タイガースのキャンプ地として名前だけは知っていた街に、まさか歩いて来ることになるとは。古い酒蔵や町並みを抜けると、自転車道に入るルートへ。車も少なく、ただ風と自分の足音だけが続く道が心地いい。
「車の音って、こんなにも気を散らすものだったのか」と気づく。静けさは贅沢だ。
やがて琴ヶ浜。高い場所から見ると黒く湿ったような砂浜がどこまでも広がっていた。実際は海は見えず、松林の中を黙々と歩く。ずっと同じ風景でだったので距離感が掴めない。
 
 

跳ね橋との再会、そして野市へ

夜須の町に入ると、海沿いにある「跳ね上げ橋(?)」が見えてきた。ここもずっと前にテレビで見たことがある橋で、偶然にも本物と再会できた。閉じる瞬間も見てみたかったけれど、今日は先を急ぐ。
そのすぐ近くの道の駅「やす」でトイレ休憩。海風が心地よく、ベンチもあったけど、座りすぎると動けなくなりそうでほどほどに切り上げた。そこから少し歩いた野市の宿に着く。
きつい登りはない一日だったけれど、足には確かに疲れが溜まっていた。今日は一つも寺を参らない日で、納経帳を開くこともなかった。参拝という区切りがないぶん、自分がどこまで来て、あとどれくらい進むのかも曖昧になってくる。
 
 

今日の学び

今日、初めて「音がない」という感覚を意識した。波の音も、風の音も、車の音も聞こえない。ただ、自分の息と足音、それから遠くで飛ぶ飛行機の音だけが微かに響いていた。静かというより、ほとんど無音の世界。
いつも街では常に車のエンジンや工事の音に囲まれていて、それが当たり前。その無音は最初は少し落ち着かなかったが、でも歩き続けるうちに、この音のない空間が、不思議と頭を楽にさせてくれた。いつもいろんな音に振り回されて、生きてるだけで神経をすり減らしてたんだな、と初めて気づいた。
 
 

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