10日目:「全部ひとりで」はやめようと思えた日(吉良川▶唐浜)

10日目:「全部ひとりで」はやめようと思えた日(吉良川▶唐浜)

海沿いの朝と羽根の休憩所

朝はしばらく海沿いの車道を歩いた。右手に山、左手に海という景色はもう見慣れたはずなのに、波の音を聞くと不思議と気持ちが落ち着く。民家の前には漁具や網が干され、港には小さな漁船がいくつも並んでいる。海とともに暮らす町の生活が、静かに息づいていた。
羽根地区では、体力を温存するために山道ではなく迂回する国道を選んだ。途中の羽根休憩所で東屋に座り、水平線を眺めながら水を飲む。単調な道のりの中でも、こうして海をぼんやり眺める時間があると、心がすっと整う。
 
 

遍路ころがしの神峯寺

神峯寺への登道が始まった。終盤、車道はヘビのようなグネグネ道が続くので、直線的に進める遍路道を登ることにしたが、これが想像以上に急できつい。木々の間を縫うように伸びた不規則な石段や土坂は長く続き、息を整える場所も少ない。
ようやくたどり着いた境内は、丁寧に剪定された植木が整然と並び思わず見とれてしまう。そこから少し登った本堂からは遠くに水平線が見え、清々しい。せっかくここまで登ってきたのに、またすぐ下るのがもったいなくて、しばらくその景色を眺めていた。
帰りは足の負担を考えて車道を下った。登ってきた遍路道と違い、余分に時間がかかってしまうのがもどかしい。
ときおり遠くからこの道を登ってくる車のエンジン音が山に反響し、徐々に音が大きくなりこちらに迫ってくるのがわかる。山道とは違う怖さがあるが、どちらを選んでも下ることの苦に変わりはないのだと思った。
 
 

唐浜の宿での気づき

麓にある唐浜地区。今日の宿にたどり着いたときには、ようやく肩の荷が降りた気がした。体も重かったが、それ以上に神峯寺の往復を無事に歩ききれたという安堵感が全身を包む。
チェックインのとき、宿の人に「荷物、預かることもできたのに」と言われ、思わず苦笑いした。そうか、そういう方法もあったのかと、そのとき初めて気づく。重いリュックを背負って山道を登った分、確かに達成感はあったけれど、同時に無駄な意地も感じた。「すべて自分の力で」と思い込みすぎていたのかもしれない。
 
 

今日の学び

今日感じたのは、「人に頼ることも旅の一部」だということ。
全部自分の力でやり遂げることが正しいと思い込んでいたけれど、そうじゃない。助けてもらったり、荷を軽くしたりすることで、見える景色が変わることもある。これからはもっと賢い考え方を取り入れたい。
意地や思い込みに縛られず、柔軟に動けるほうが、きっと旅も人生も楽になるはずだ。
 
 

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コメント

  1. こんにちは♪ 10日で神峯寺まで歩けるなんて、すごいですね👍
    ずっと歩いてるんですか?
    僕も1番から歩いてるんですが、、、10日では無理です、😅
    素晴らしい👍

  2. @HENROMAN
    コメントありがとうございます
    今年結願までを終えて帰ってきた後の投稿です
    寄り道や休憩もあまり取らずに黙々と歩いていたので距離だけは進みました

  3. 凄いです👍

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