
打ち戻り
大岐の宿を出る朝、今日も打戻りになる。
ただ昨日とは違い、今日は自分の荷物を背負って歩く。背中にザックを担いだ瞬間、「こんなに重かったっけ」と思わず苦笑いした。昨日の往復は荷物を置いていた分、体がずいぶん楽だったらしい。肩にずしりと重さが戻り、足の出方も少し鈍くなる。
それでも、今日は距離が短いと分かっている。
その安心感もあって、気持ちは落ち着いていた。どうしても気になっていた場所がある。真念庵だ。来るときは先を急いで通り過ぎてしまったが、今日は時間がある。行ってみたい、という単純な理由で足を向けた。
真念庵
案内に従って、車道から外れ細い道へ入る。
期待も少しあったが、実際に着いてみると、真念庵は思っていたよりずっと簡素だった。建物も小さく、飾り気はほとんどない。
拍子抜けしたような、でもそれでいいような、不思議な気分になる。
派手さも感動もない。ただ、静かにそこにある。それだけの場所だった。少し立ち止まり、手を合わせて、また歩き出す。来てみてよかったかどうかは分からないが、「行かなかった後悔」は残らなかった。
三原村
そのまま三原村へ向かう。
歩く距離は短いが、雰囲気はこれまでと大きく違う。たまに携帯の電波は入らず、画面の地図も頼りにならない。車もほとんど通らず、人の姿も見かけない。広々した車道だが、その道の真ん中を悠々と歩く特別感に浸った。
しばらくして村に入ったのだろう。田畑は広く、整っている。
生活の跡はあるのに、人が外にいない。その静けさが不安になるかと思ったが、意外とそうでもなかった。むしろ「遍路をしている感覚」が強くなっていく。便利さから遠ざかるほど、歩いている実感が濃くなる。
農家民宿に着くまで、結局、誰にも会わなかった。
今日の学び
誰にも会わず、何も起きない日。
でも、こういう日があったから、周囲の雑音に邪魔されずいつも考えを後回しにしていた日常生活のこと、考えがまとまらないことがこの日解決できた気がする。


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