懐かしきそして感謝の本

懐かしきそして感謝の本

初めて遍路にでた20数年前。
あるお寺の方丈さまが「四国を歩くと気持ちがええ~ぞえ」と言われお遍路に出た。
歩く計画をするに図書館で「お遍路」の本に出合った。
当時は現役時代で長い休暇は取れず、金曜の夜行で四国に行き、日曜の夜行バスで帰り月曜にそのまま仕事。
1巡目は11回も区切り打ちをし4年がかりの結願。
その都度計画するうえで白神さんの本が役に立ち、
いま懐かしく読んでいる。お遍路へ導いてくれた感謝の本です。

1番霊山寺納経後に

仁王門の横の長屋建物で沢山の方々がいて、蜜柑や日本てぬぐいをお接待を受けた。
何と和歌山から来てお接待をしていた。
先月テレビで「よみがえる新日本紀行」で紀州のお接待船団を見た。
随分昔から船に乗り鳴門撫養の港に来て沢山の方々がご奉仕の為に1番さんに来ていたという。
手ぬぐいはまだ使っていないが改めて感謝しました。
また四国に持って行きたい。

入野の松原の砂浜で

1999年の秋当時はまだ大方町と言ってた入野の松原で一人のカメラマンの方が
「撮ってもいいですか?」と言われ。足摺まで歩き帰宅後数日たった日に写真が送られてきた。
懐かしい写真。

新聞に載ったお接待

2002年立江寺から勝浦町沼江を歩いていたら「おへんろさ~ん寄ってって!」との声が。
無料の宿をお接待していて、今日あたり500人目が通るころと待っておられた。
地区のみなさんも沢山おられて歓迎された。
「実は新聞者の記者さんにも来てもらってる」と。
翌日徳島新聞を買い求めたら何と記事に。
みなさんと嬉しい出会いの時でした。

弥谷寺の俳句茶屋で

2009年道中で出会ったアメリカから来た青年お遍路とひと時一緒に歩き俳句茶屋で一休み。
ところてんは食べた事がないという彼に「疲れた時にええ食べ物だよ」と言ったが
名古屋弁は通じたか定かでは無かったが、彼が一口を口にして苦笑い。然し暑さもあり美味しそうに。
店内の天井には所せましと俳句の短冊が。俳句茶屋今は別格海岸寺の奥之院に移られて弥谷寺にはもう無い。

83番一宮寺で

2006年の5月納経後に一休みしてたら
隣のベンチにご夫婦が。「おつかれさま」と言ったら
英語訛りの日本語でハワイから来て歩き遍路してるとの事。
素敵なご夫婦でした。

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コメント

  1. お遍路していて新聞に掲載されるなんて、良い思い出だと思います!
    1巡目に11回区切り打ちなされたとのことですが、自分も先日結願した際に数えてみたら、11回四国入りしてました。
    まさかこれほどかかるとは思ってもみませんでしたが。

  2. 昔と今では違う事もたくさんあると思いますが、昔を懐かしんだり、また新しい出来事も起こるのでおもしろいですよね。

  3. @ひろ(歩き)
    ひろさんも11回区切られたのですね。
    やはり現役時代は長い休暇も取りずらく、夏休みなどは休みが取れても真夏には
    とても歩かれるものではありませんですし。
    結願した後も「お四国病」でまた歩くのが待ちどうしくなります。
    どうぞこれからも楽しく歩かれますように。

  4. @あの時の
    あの時の亀さんのおっしゃるとおりです。
    遍路の季節や風景もその時々で違うし、出会う人々との触れ合いも常に新鮮であり
    そんなに日常と変わらなくても四国で出会うと楽しい時間ですね。

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