#1 発心

#1 発心

昨年の4月より区切り打ちを始めてから約一年。
四国遍路発心からここまでの道中について書いておこうかと思いました。

インスタグラムの方にも体験談等をアップしていますが、ここではインスタに載せていない話しなど、記憶しているものを可能な限り思い出して上げていければと思います。

一人のお遍路の話として。🙏

四国遍路を発心したのは2021年の11月、仕事の休憩中に般若心経を黙誦していた時でした。

般若心経を唱える事を習慣としていたのは、当時ある悩みが有り、どうすればそれを克服できるかと自己啓発や心理カウンセラーの言葉などを参考にしていましたがあまり効果が無く、一番自分にしっくりと合ったのが般若心経を唱える事だったからです。

その休憩中の出来事は、頭の中に「四国遍路」が突然浮かび、お大師様の御姿のようなものを感じた、というものでした。
それは「おいで」という、優しさも厳しさも無い、しかし有無を言わせぬ御姿でした。

"呼ばれた"
そんな感じでした。

四国遍路にはいつか行きたいと、若い時から思いが有りましたが、かと言って具体的に調べたり行動を起こしたりする事もなく、ただ漠然と思いながらこの歳まで過ごして来ました。
又、仏教については10代後半くらいの時に、ふらっと立ち寄った書店で平積みにされていた「ブッダの言葉・スッタニパータ」を何と無く買ってサラっと読み、何となく分かったような気になっている程度でした。

その日から四国遍路についてあれこれと調べを進め、歩きの遍路において最初の難関は焼山寺らしいという事を知り、ここでリタイアする方が多いという事も分かりました。

普段から歩く事には慣れていましたが、これは相応のトレーニングをしていかないと簡単に弾き返されるなと思い、少しずつ長距離を歩くトレーニングと体幹を中心とした筋力トレーニングを始めました。

最初は8キロから始め徐々に距離を伸ばし、最終的に30キロ程度をそれなりのペースで歩けるようになりました。
もちろん舗装された平地で荷物もそれほど背負っていないので本番のお遍路とは状況が違いますが、多少の自信にはなりました。

加えて、せっかく回るのであれば後悔しない様にきっちりやろうと、札所で納める写経の用意を始めました。
小中と書道を習ってはいましたが、数十年ぶりに筆を取ると見るも無惨な汚字。

最初は週に1回程度。それから週に2回、3回と増え徐々に感覚を取り戻し、先日これまでに納めた分とあわせて八十八霊場と別格二十霊場分216巻を書き終える事が出来ました。

見出しの写真はお遍路と関係ありませんが自身の誕生日に何か思い出になる事をと思い、2014年夏に富士登山した時のものです。
当時、潰瘍性大腸炎という難病を患い、数時間毎に襲う耐えられない血便に悩まされながらも登りました。
山頂で御来光を目にした時、訳も分からず涙が溢れてきました。
今思うとよくやったもんだと笑えてきます。

病気の方は寛解期の為か、ここ数年症状も無く健康そのものであります。

「病気になっても、病人にはならない」
登山家 田部井淳子さんの言葉。

今ある健康に感謝。
有難し🙏

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コメント

  1. 「呼ばれた」という感覚、私も似たようなものがあり、今また当初の頃を思い出しました。それほど準備もせずにスタートしてしまいましたが改めて初心を取り戻すいいきっかけになりました。ありがとうございます。

  2. わたしも体は強い方ではないですが、病気になっても病人にはならない、というその言葉に励まされたような気がします。もしこの後の旅中でお気づきになられたことなどあればまたこちらでもお話を聞かせて下さい。

  3. @くまごろう

    コメント有難う御座います。

    今月末、一週間ほど区切り打ちの続きに行く予定です。

    私も初心を思い返し、しっかりと歩いてこようと思います。

  4. @あの時の亀

    コメント有難う御座います。

    田部井淳子さんのこの言葉、私もとても励まされました。

    これから少しずつこちらに、これまでの道中で出会った方々や出来事を上げていこうと思っております。

    一巡目超初心者の経験談ですのであまり面白くはないと思いますが、ご覧いただけたら嬉しいです。

    宜しくお願い致します。

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