
峠を越えて久万へ
今日は下坂場峠、そして鴇田峠を越えて久万方面へ向かう。久しぶりに「しっかり山を越える日」という感じがして、朝から少し身構えていた。
道は徐々に登りへ変わり、町の気配も薄くなる。
車はたまに通るが、それ以外の音はほとんどない。峠道を歩いていると、景色が変わるというより、木々に囲まれて薄暗い。息が荒くなり、足取りが重くなる。それでも、一歩ずつ進めばちゃんと先へ進める。それを繰り返すだけだった。
下坂場峠を越え、次の鴇田峠に入ると、空気が一気に変わった。
道は細く、足元には落ち葉が積もり、湿った土が滑りやすい。派手な険しさがあるわけではないが、じわじわと体力を削ってくる峠だ。登っても景色が大きく開けることはなく、ただ黙々と山の中を進んでいく。
途中、自分の呼吸だけがやけに大きく聞こえた。峠道を歩いていると、「どこまで登れば終わるのか」が分からなくなる瞬間がある。鴇田峠もまさにそんな道だった。
それでも、足を止めずに歩いていると、ふいに木々の向こうが明るくなる。峠を越え久万の町が見えた瞬間、体より先に気持ちが少し軽くなった。ここまで山や集落ばかりだったので、久万はかなり大きな町に感じる。店も多く、人もいて、「ちゃんとした町に来た」という感覚があった。
久々の札所、大寶寺
久万の町を抜けると、44番大寶寺に到着した。
しばらく札所が続かなかったので、久々に「遍路感」が戻ってきた。
境内は静かで、山の空気が濃い。
派手さはないが、ここまで峠を越えて歩いてきた流れを、そのまま受け止めてくれるような落ち着きがある。
手を合わせていると、ここ最近は「次へ進むこと」ばかり考えて歩いていたことに気づく。
今日は久しぶりに、「寺まで歩いて来た」という感覚がちゃんと残っていた。
岩屋寺、そして打ち戻り
大寶寺を出て、次の岩屋寺へ向かう。
さっそく峠道に直面する。この峠は頭になかったのでちょっと面食らった。
この先、岩屋寺までは山の遍路道もあるが、今日はこれまでの峠道の疲れもあり、車道を歩くことにした。
途中、今夜泊まる宿の前を通る。
ここで荷物を預ければかなり楽になるのは分かっていた。でも、一度止まるのが少し面倒だったのと、「まだ背負えるな」という感覚もあって、そのまま岩屋寺へ向かった。
ただ、その判断を少し後悔することになる。
岩屋寺の麓から本堂までの道は、とにかく急だった。
石段と坂道が延々と続き、登っても登っても終わらない。しかも、すでに一日分歩いたあとだ。ザックの重さが肩に食い込み、足もどんどん重くなる。
それでも、岩屋寺の空気には独特の迫力があった。
岩壁に囲まれた境内は、これまでの札所とは明らかに違う。山の中に無理やり寺を作ったような、不思議な圧力がある。
参拝を終えたころには、体力はかなり削られていた。
来た道を戻り、ようやく宿に到着する。荷物を預けなかったことを少しだけ反省したが、それも含めて今日の歩きだった気がする。
今日の学び
今日は、とにかく「峠」と「坂」の一日だった。
下坂場峠、鴇田峠、大寶寺後の峠、そして岩屋寺への登り。歩いている時間のほとんどが、登っていた気がする。
途中、荷物を預ければもっと楽だった。
でも、その判断をしなかったのも、自分の今の歩き方なのだと思う。
最近は効率や楽さだけでなく、「自分が納得できるか」で選ぶことが増えてきた。
今日は少ししんどかったが、それでも「この歩き方でよかった」と思えた一日だった。


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