
電車で菊間へ戻り、遍路再開
朝は昨日泊まった伊予北条の宿を出て、電車で菊間駅へ戻る。
歩き遍路をしているのに朝から電車というのは少し不思議な気分だ。でも、まだ自分の足で歩いていない景色を車窓から見ないという自分のルールだけは守れている。菊間駅を降りると、昨日歩き終えた場所から自然に遍路を再開した。
朝の国道196号は車も少なく、瀬戸内海は穏やかだった。漁船がゆっくり港を出入りし、朝日に照らされた海面が静かに光っている。高知の太平洋とはまるで違う、暮らしのすぐ隣にある海だ。
今治の札所を巡る
最初に到着したのは五十四番札所・延命寺。
住宅街の中にあるお寺だが、一歩山門をくぐると町の音がふっと遠ざかる。境内は広すぎず狭すぎず、朝の空気が心地よく流れていた。参拝を終えるころには、今日も一日歩き始めたという実感が湧いてくる。
延命寺を出ると、遍路道は広い墓地の中を通っていく。整然と並ぶ墓石の間を歩いていると、不思議と静かで落ち着いた気持ちになる。墓地を抜けると景色は一変し、今治の市街地へ。信号が増え、車の流れも一気に多くなる。数日前まで歩いていた山道とはまるで別世界で、同じ遍路道とは思えないほど街の空気に包まれていた。
続いて五十五番札所・南光坊。
今治市街地の中にありながら、境内は驚くほど広々としている。立派な山門と開放感のある境内は、これまでの山寺とはまったく雰囲気が違う。地元の人が普通にお参りしている姿も見え、生活の中に溶け込んでいるお寺なのだと感じた。
ちょうど昼どきになり、今治駅周辺で昼食をとる。
せっかく今治まで来たので、名物の焼豚玉子飯を注文する。甘辛いタレが染みた焼豚に半熟の目玉焼き。歩き続けて空いた体には十分すぎるごちそうだった。普段はコンビニで済ませることも多いが、その土地の名物を食べると旅らしさが増す。
午後は五十六番札所・泰山寺へ向かう。
市街地を離れると再び静かな道になる。田畑が現れ、住宅も少しずつ減っていく。泰山寺は派手さこそないが、落ち着いた空気が流れていて、ゆっくり手を合わせたくなるお寺だった。
さらに五十七番札所・栄福寺。
境内はこぢんまりとしているが、どこか温かい雰囲気がある。境内を掃除している人や参拝客が自然に挨拶を交わしていて、その穏やかな空気が印象に残った。
ここから五十八番札所・仙遊寺へ向かう。
今日一番きつかったのは、このお寺だった。最後に待っている急な登り坂は想像以上で、歩いてきた疲れが一気に足へくる。それでも登り切ると、今治の町並みと瀬戸内海が眼下に広がる。吹き抜ける風も気持ちよく、「登ってよかった」と素直に思える景色だった。
ただ、本当に大変なのは帰り道だった。下りは山道になっていて、地面は赤土。乾いているように見えて意外と滑りやすく、一歩一歩足の置き場を確かめながら下っていく。登りより足への負担が大きく、気を抜けば転びそうになる。ようやく車道まで戻ったときは、「やっと終わった」という安堵のほうが大きかった。
再び山を下り、今日最後の五十九番札所・国分寺へ。
夕方の境内は静かで、木々の間から差し込む光も柔らかい。一日の終わりに訪れるにはちょうどいい雰囲気だった。六つ目のお寺ということもあり、達成感よりも「今日もよく歩いたな」という気持ちのほうが強かった。
国分寺で一日を終える
参拝を終え、少し戻った国分寺近くのホテルへ向かう。
今日は一日に六つもの札所を巡った。
これまでは、一つのお寺へ着くまで何時間も歩く日が多かった。それに比べると今日は歩いては参拝し、また歩いては参拝の繰り返し。同じ遍路でも、場所が変わるだけでこんなにもリズムが違うのかと思う。
町の中を歩き、住宅街を抜け、田園を歩き、最後は山寺からの再び市街地へ。
一日を振り返ると、札所だけではなく、その間をつないでいた道も、それぞれ違う表情を見せてくれていた。
今日の学び
この日は6つもの札所を巡った。
数だけ見れば順調な一日だった。でも印象に残っているのは、お寺の数ではなく、一つ一つの空気の違いだった。
歩いている道も、お寺も、町も、全部違う。
「今日は何番まで進んだか」よりも、「今日はどんな一日を歩いたか」。
このときは、そんなことを考えるようになっていた。


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