#27 同行二人

#27 同行二人

四国遍路を始めてからそれまで以上に神社仏閣に興味を持つようになり、次の四国巡礼までの期間を利用して各地の御寺や神社を訪れるようになりました。

日本国内には仏舎利、いわゆる「お釈迦様の遺骨」を安置している寺院が各地に存在しますが、その中でも名古屋にある日泰寺は特異な存在と言えるのかも知れません。

日泰寺は超宗派、つまりどの宗派にも属さない寺院であり住職は仏教各宗派が3年ごとに交代で務めているそうです。

本国インドで仏舎利が発見されるに至った経緯、そして日泰寺が建立されその仏舎利の一部が泰安されるに至った経緯については、ここではとても書ききれない為割愛させて頂きますが、御興味のある方は是非お調べ下さい。

当初10月の中頃に名古屋を訪れる予定が、出発前日に東海地方で大雨が降り、その影響で翌日の東海道新幹線が運休となってしまった為、已む無く延期として改めて11月末に予定を組みました。

名古屋を訪れる目的は覚王山日泰寺への参詣の他に、熱田神宮へ御守りの返納、そして名古屋三弘法参りの徒歩巡礼でした。

初日は名古屋駅到着から日泰寺まで歩き、その後熱田神宮へ足を運び御守りを返納して改めて厄除け守りを授受。

2日目は朝から名古屋三弘法参りへと向かい、宝珠院・辯天寺・善光寺の三ヶ寺を回り名古屋駅へと戻って帰路に就きました。

日泰寺の山門前に到着して先ず驚いたのが、一般的に仁王像や四天王像などが据えられている場所には、向かって右に阿難尊者像、左に摩訶迦葉尊者像が置かれている事でした。
こうした所も日泰寺ならではなのでしょう。

熱田神宮では鳥居の存在感と境内の広さ、そして参詣者の多さに驚きました。
境内の一画には弘法大師お手植えと伝わる樹齢千年を越える楠の巨木。
苔の一種なのか幹を覆うように植物が根付き、これまで目にした事の無い、正に霊木といった気を宿しているかのようでした。

千年の間どれ程の人々がこの楠を目にし、
そしてこの木は何を見てきたのか。

天を覆うように枝葉を広げたその姿を見上げながら、ふとそんな事を思いました。

神社仏閣に参る。

それはそれで良き事だと思いますが、
日常の何気ない瞬間にも神仏を含め森羅万象は常に生き生きと"はたらいている"のではと思うことがあります。

「同行二人」

菅笠や金剛仗に書かれた四文字は弘法大師だけでは無く、
一切事物はあらゆる瞬間、常にこの世界に満ち満ちて
居なくなるということも、現れるということも無い
という事を表しているのかなと思ったのでした。

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コメント

  1. 日泰寺さんの2体の像に感心を持ちました。四国で育つ木々もこれまで何人の遍路を見てきたことでしょう。

  2. @あの時の亀
    コメント有難う御座います。

    日泰寺の山門の二像はとても印象に残っています。

    仰るように、四国の大自然も千年以上お遍路さん達を見てきたのでしょうね。

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