Post 今日(6/27)の徳島新聞 1754年の遍路日記見つかる。 「四国辺路道中覚」 今とほぼ同じ巡り方をして、別格霊場もいくつか回っている。 その他、金毘羅宮、宮島へも行っていると記されている。 88番大窪寺の後に10番切幡寺に行って、理由は不明だが6番,7番,8番は行っていない。 神仏習合の時代の遍路を知るには興味深い。 報告する Post こんな記事も読まれてます 遍路中によく歯が痛くなる 遍路66 台北新四国八十八ヶ所霊場の残された石仏を見に台湾に行ってみませんか? 意外と大事な靴下の話。 鶴林寺と太龍寺 女体山 コメント naru 2023.06.29 09:21 返信する ちょっと読んでみたいです。 気まぐれ遍路・かとう 2023.06.29 21:19 返信する @naru さん コメントありがとうございます。 原物を見ても、私には読めないかも知れませんが、確かに読んでみたいですね。 特に阿波以外の移動距離が書かれているとありましたので、興味深いです。 コメントするためには、 ログイン してください。
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ちょっと読んでみたいです。
@naru さん
コメントありがとうございます。
原物を見ても、私には読めないかも知れませんが、確かに読んでみたいですね。
特に阿波以外の移動距離が書かれているとありましたので、興味深いです。