#48 どこまでも

#48 どこまでも

出石寺を後に再びもと来た遍路道を下り、途中から高山・阿蔵方面の舗装路へ。
当初は登りも下りもこの道を行こうかと考えていましたが、それも味気無いと、登りは地蔵道、下りは高山・阿蔵方面への道を行くこととしました。

ひたすらの下り道。木々の途切れた場所からは大洲の街並みと、その先の景色が遠々と広がっていました。
10km程の下りでしたが、ここで幾分か体力を回復する事が出来ました。

終盤、地図通りに遍路道へと入って行きましたが途中から道が消えてしまった為、再び舗装路へと戻り暫く進むと、造成工事の為か山が削られている場所に差し掛かり、よく見ると工事箇所の奥には遍路道の案内札が掲げられていました。
しかし手前にはバリケードが置かれ、そちら側へ立ち入る事は出来ませんでした。少し心残りながら出石山を下り切って小さな踏切を渡り、川沿いの道を北東へ。

山中ではあまり気になりませんでしたが、日陰の無い平地へ出ると、ジリジリと焼かれるような陽射しと下からの強烈な照り返しに、喉の奥にムッと迫る様な熱気。

暫く川沿いを歩き、肱川を渡って土手道を進むと、刈りたての夏草の匂いと青天をのんびり横切って行く白雲。
どこまでも夏でした。

15時頃、十夜ヶ橋永徳寺へ到着。
大師堂が目に入りましたが先ずは本堂と、奥へ進むと、真新しい建物の隣では何かの建設中でした。
今回初めて訪れて知った事ですが、平成30年の豪雨災害の際に近隣の河川氾濫により床上浸水の被害に遭い、本堂は修復が難しく建て直しとなったそうです。

御本尊は仮堂内に安置の旨、張り紙があり、堂内に失礼させて頂いて。
滴り落ちる汗に、やはり暑いのだなと思いながら読経を済ませて納経所へ。
御住職と思しき方が御対応下さり、押印墨書頂いた後に「荷物になるかもしれませんが」と、袋一杯に入った栗を下さいました。有難い事でした。

境内を後にすぐ傍にある橋へ。
車が行き交う橋の下には弘法大師横臥の像。
下を流れる川には丸々とした元気な鯉が沢山泳いでいました。餌を与えられる様に設られていたので、お大師様の御前に賽銭を献じて餌を撒いてやりました。

豪雨災害の時、この弘法大師像や鯉達はどうなったのだろうかと想像して。
出石山の下りで見た遍路道の封鎖も然り、時々刻々と変化して行く四国遍路もまた、無常なのだと。

参拝を終え橋を潜って反対側へ渡り、少し道を戻って当日の宿へ。
部屋の窓からは暮時の空が見え、今日は夕焼けが綺麗だろうかと夕食がてら外へ。近くの河川敷へ出て、朱へと移って行く空を暫く眺めていました。

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コメント

  1. ここまで水がきました、という案内版を見て豪雨災害の凄さを感じました。橋の下のお大師様もその橋自体も水の中だったのでしょうから驚きです。
    私は出石寺には行きませんでしたが地図で見るとかなり遠いのですね。でも昔ながらの遍路道もあるようで次は計画に入れます。工事で通れなくなっているのも、こちらのみんなの遍路地図を見て知りました。工事の後はどうなってしまうのでしょうね。

  2. @考え中
    コメント有難う御座います。

    大洲の周辺一帯が浸水被害に遭いながらも、そこから立ち上がってこられたのだと思うと、人間の持つ力強さに改めて色々と考えさせられました。

    出石寺はなかなか行きづらい御寺様かも知れませんが、登り切った達成感は焼山寺に勝るとも劣らないものがあり、おすすめです!

    この日見た工事による遍路道の封鎖に限らず、長い四国遍路の歴史では各地で様々あったのかと思います。
    変化して行くものに対して不安や悲しみの様な感情を抱く事もありますが、この世に変化しないものなど何一つ無いのだと思うと、案外気楽になれるような気がします。

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