#54 四国遍路

#54 四国遍路

「また歩きに行くの?」

長期の休暇が近づいてくると上司や同僚から問われて「そうです」と、
こんなやり取りも何度目かと思いながら、あと何回で終わってしまうのだろうかと、少し惜しい気持ちにもなったりします。

二度目の冬。
四国遍路を始めてここまで、幸運にも交通機関の乱れ等無く四国各地へ運んで頂き、お遍路を続けられているのは本当に有難い事です。

四国遍路という文化を知ったのいつ頃なのか、正直よく覚えていません。
学校で教わったのか、或いは中学生の頃、父と車で回った四国旅行の中でお遍路さんを見たのか。
全く思い出せません。

巡礼者や行者といったものに触れる機会がなかったかと思い返せば小さい頃、父が映像同好会の方々と共に、比叡山の千日回峰行の撮影取材に行っていた事がありました。
長期休暇になると撮影に出掛け、数日後に帰って来ては撮ってきた映像を見せてくれました。

当時は酒井雄哉大阿闍梨による二度目の千日回峰行の最中だったと記憶しています。
白装束を纏い、暗く険しい山中を駆け巡る姿に、一種の憧れに似た感情を無意識下に抱いていたのかも知れません。

出発当日。
玄関を出ると東の空に、明けの明星が煌々と輝いていました。
早朝の出立もこれで何度目かと、始発列車に乗り羽田空港へ。年末という時季もあってか、相変わらずの混雑をすり抜け搭乗手続きを済ませて検査場へ。
早い時間の便の為、始発列車でもあまり余裕が無く、トイレを済ませて搭乗口へ向かうと出発15分前。
ほぼ定刻通りに発着し、松山空港からバスに乗り松山駅へ。
9時半に区切り打ち六回目開始。先ずは前回の最終札所、石手寺へ遍路再開の御挨拶。

松山城のお堀から離れて少し。石手寺まであと少しという辺りで、通りの反対から渡ってきた若者に「お遍路さんですか?」と声を掛けられました。
「そうです」とお答えしてお話を聞くと、友人との会話で「四国を歩いて回る人達がいるらしい」「本当にそんな人達がいるのか?」と話をしていたとの事。
年越しの為に大阪からやって来たそうで、友達に見せたいので一緒に写真を撮ってもらえますかと、ツーショットを一枚。
凄い凄いと驚く様子が微笑ましく、「是非、四国遍路チャレンジして下さい。」とお声を掛けてお別れしました。

石手寺近くに差し掛かると、漂う線香の香りに頬が緩みました。歩いて巡っていると、遠くから聞こえてくる梵鐘の音や線香の香りが、疲れを癒してくれます。
仁王門では正月飾りを付ける人の姿があり、昨年暮れの土佐神社や竹林寺の様子を思い出すと共に、時の移ろいの早さを感じました。

石手寺で遍路再開の御挨拶を済ませて再びの一草庵へ。
冬枯れの庭に柔らかな陽が優しく、庵の縁側に寝転んで昼寝でもしたらさぞかし気持ちがいいだろうなと、酔った山頭火が寝そべっている姿が浮かんでくる様でした。

お遍路を歩いていると、歩いているという事も、"自分"という感覚も、何故ここに居るのか、何故こうしているのかも分からなくなる時間があります。

しかしそれが不安だったり不快なのでは無く、何の分別も無く、ただそう感じているという不思議な時間があります。

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コメント

  1. 私も旅中の一般の方に「お遍路大変ですね」と声をかけられたことがありますが、自分的に好きで歩いているだけで、外からはどういう風に見られているかとか考えたことがなかったので妙な心境でした。

  2. 石手寺あたりは道後温泉などを訪れる一般の方と近くすれ違う機会も多かったのですがやはり車遍路が多いため歩き遍路姿は目立ちますよね。改めて全国の天気予報で移される四国を見ると自分でもよく一周したなと驚きますが、おそらく他の方もそんな思いなのではないでしょうか。

  3. @あの時の亀
    コメント有難う御座います。

    私もこれまでに幾度と無く労いの言葉をかけて頂きましたが、同じ様に、ただ歩くのが好きだからという感じでしょうか。
    楽しい事ばかりでは無く苦しい場面も何度かありましたが、今ではそれも全て良い思い出となっています。

  4. @考え中
    コメント有難う御座います。

    仰る通り、一般の方が多い場所では白衣を着た姿は目立つのかも知れませんね。
    皆さん歩き出した最初の頃は本当に歩き切れるか不安もあるのでしょうが、無事結願した時、よく歩いたもんだと思われるのでしょうね。
    私もいつか歩き切って、その感覚を味わってみたいです。

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