一草庵を後に196号線を北上して太山寺の方角へ。
川沿いの道を歩いていると、多くのランナーの方とすれ違いながらの御挨拶。この辺りはランニングスポットなのでしょうか。
太山寺への道中、溜池から先の道を少し手前で山側へ入ってしまい、蜜柑畑の中を本当にこっちだろうかと訝りながら進んでいると、すぐ脇の畑からニョキッと顔が飛び出し、「そっちに寺無いで」と農家の方が正しい道を教えて下さいました。
ありがとうございますと、溜池の角まで戻って辺りをよく見回せば、ガードレールの道標ステッカーが正しい道を示していました。
程なくして太山寺へ。静かな境内には既に傾いた陽が木々の間から注ぎ、伽藍の屋根瓦や白壁を優しく照らしていました。
そこから2kmほど歩いて円明寺へ。こちらも暮れ時の為か人影は無く、晴天へ名残惜しげに別れを告げる柔らかな陽が西へと向かっていました。
初日の参拝を終えて当日の宿、「まあめいど」へ。
宿近くで川沿いの道へ入ると正面に海と島々が現れ、宿入り前に少し見て行こうかと、そのまま進んで浜辺へと出ました。
穏やかな波。夕陽と島影。思い思いに浜辺ですごす人々。
これ以上、足すものも引くものも無い景色でした。
浜辺からすぐの「まあめいど」では宿の方が温かく迎えて下さり、夕食時には女将さんからこんなお話を聞かせて頂きました。
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以前、宿泊した大学の教授。四国へ赴任してから初めてお遍路さんを目にしたそうで、
「行く先々で見かけるが、あれは何かの宗教か?それにしては宗教臭さが無いが。」
との問いに、女将さんがお四国参りですと説明すると、
「四国内を車で移動するのも大変なのに、歩いてまわるのか!」
と驚いていたそうです。そして、
「歩くのも凄いが、自分も家族も健康で、宿賃諸々費用も掛かるだろうに、なんて贅沢なんだ。こんな幸せな事は無い。」
と言っていたそうです。
お遍路をされた事がある方なら、こんな言葉をどこかで見聞きした事があるのではないでしょうか。
お話を聞きながら改めて、沢山のお陰様のお力で巡らせて頂いているのだと、沁みじみと実感したのでした。
コメント
私も歩き遍路は贅沢な旅と言わたことがありますが、そう言われればその通りなんですが実は実感ないんですよね。お金や時間の消費が贅沢というよりもその体験が日常とは比べ物にならないくらいの出来事が一気に押し寄せてきて、自分の糧になることが贅沢(それも意味として変ですが)に感じることはあります。
@あの時の亀
コメント有難う御座います。
仰る事よく分かります。
昨日もある善根宿の方と似たような話しになったのですが、金銭的な物か置かれた環境か、或いは得られる経験や知識など、何にその価値を見出すかは人によって様々ですね。
家族や周囲の環境、金銭を自由に使える事などに感謝する面も多々ありますし、歩くことで自然や地元の方々から教えて頂く事も又貴重な経験だと思います。