#56 初心

#56 初心

この日は札所での参拝が無く、五十四番延命寺手前の大西という辺りまでの移動でした。

8時頃、宿を出発。
よく晴れた空と朝の冷気が心身を心地良く引き締め、太平洋側とはまた違った、たおやかな瀬戸内の海を左手に歩き出しました。

海一つとっても見飽きる事がないもので、同じ景色が続く様に見える海沿いの道でも、太陽の位置や天候によって変化する海の色、島影や波のうねりなど様々な要素が入り混じり、一時も同じ風景であるという事がありません。

この日はひたすら海沿いの道という事もあった為か、ゆったりと歩きながら景色を楽しみつつも時には歩く事に没入し、やがて歩いているという感覚も自分という感覚も、周りに溶けていく様な時間が幾度と無くあったように思います。

そんな事を繰り返しながら気付けば遍照院という御寺の前へ辿り着き、ここで少し休憩をと境内にお邪魔して本堂前で般若心経を一唱。
隅にあるベンチをお借りして携行食をかじりながら、参拝に訪れる方や正月の支度をする寺務所の方々を何となく目で追っていました。

その後も歩を進め、伊予亀岡付近で何度目かの休憩。思いの外足取りが早く時間に余裕があったので浜辺の堤防に寝転がり、暖かな陽にうつらうつらと目を閉じたり、海と空を交互に眺めたりしていました。

この回はなるべく行程に余裕を持たせ、ゆったりと歩きながら景色を堪能したり、幾つか札所以外の場所へも足を運んでみようと考えていました。

歩く事と札所を打つ事だけに専念するのも良いのですが、何回目からか、そうしてあくせく行程を組んで歩いている事に違和感を持つようになり、何の計画も無く寝袋をバックパックに詰めて初めて四国遍路へやって来た2年前の事を思い出したりしています。

もう一度あの時の様に何も考えず、ただ馬鹿になって歩いてみたい。そんなふうに思いながらも、ここまで来てしまいました。

俄かに風が吹き始め、薄灰色の雲の群れが流れて来るのを見てそろそろかと、体を起こして歩き出しました。

当日の宿「スガノヤ」へは16時半頃到着。
宿手前には見事な楠の巨木。こんな立派なのは都会の街中では中々お目にかかれません。

「スガノヤ」では女将さんがお出迎え下さり「買い物に行かれるならどうぞ」と、有り難く自転車をお借りしました。
2階の角部屋で荷物を下ろして近くのAコープへ向かいましたが、知らない町を走るのは楽しいものです。

タイムセールの弁当や菓子パンを購入して宿へ戻り、毎度のルーティーンを経て就寝。
翌日は札所五ヶ寺への参拝に加え、四国遍路開始当初からの念願であった、ある御寺への参拝が控えていました。

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コメント

  1. 松山の街中を抜けて海が見えてきた頃に思う、ゆっくり行こう。私も同じ思いでした。
    そして、ある御寺・・・気になります。

  2. @あの時の亀
    コメント有難う御座います。

    やはりそう思われますか。
    何でしょうか、あの穏やかな海がそう思わせるのですかね。
    ある御寺様は、お遍路にはあまり関係が無いのですが、個人的に今治に着いた時には行ってみたいなと思っていた御寺様です。

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