#62 六日目

#62 六日目

二回目の冬、巡礼最終日。
五日目のこの日は六十四番前神寺で打ち止めて伊予西条から松山へ予讃線で戻り、空港からの最終便で帰路に就く予定でした。

年始早々立て続けに起こった惨事。
流石に心が揺れましたが、ともかく今は無事に巡礼を終えようと宿を出ました。

当日は曇り後雨の予報。前日ほどの冷え込みは無く、歩き出してすぐに上着を脱ぎました。
先ずは六十三番吉祥寺。続いて前神寺に向かう前に手前に在る石鎚神社へ立ち寄りました。

地図表記の大きさから何と無く"ちょっとした神社"くらいかなと勝手に想像していましたが、二の鳥居前に出た時、前日目にした石鎚山の姿が蘇り「そんな筈は無いよな」と無知故の思い込みを反省しました。

初詣で賑わう境内を進み、幾度かの石段を経て本殿へ。お遍路中に神社へ参拝するのは篠山神社以来かもしれません。

石鎚神社を後に、すぐ隣と言って良い程に近い前神寺へ。こちらも初詣の参詣者が引も切らずに訪れていました。
本堂前の結界の様な空間に暫く足を止めて。

本堂大師堂、更に各御堂への参拝を済ませ、また戻って参りますと山門前で一礼し御寺様を後にしました。

前神寺から伊予西条駅へは4km程。
予讃線に乗り松山へ。

列車の時刻が近付き駅舎の待合所からホームへと出て、ぼんやりと列車を待ちながら反対側に停まっていた鈍行に何と無く目を向けると、なんと初日に松山で声を掛けてくれた若者の姿がありました。
何ともまあ不思議な事もあるもんだと声を掛けようかと思いましたが、それも無粋かと姿を見送り、旅の妙味を感じました。

程なくして列車が到着し松山まで一時間程。
この数日を思い返しながら、いつの間にか眠りに落ちていました。

ハッと気が着けばもうすぐ松山というアナウンスと窓に貼り付く雨粒。
松山駅に到着し駅舎を出るとザッと一降り。

バスに乗り換えて空港へ向かい実家への土産などを購入して手荷物を預けましたが、やはり羽田の混乱は収束しておらず、この日の便にも行き先変更や欠航が相次いでいました。

空港到着時には定刻通りだった搭乗予定の最終便も「発着時間未定へ変更」のアナウンス。
飛んでくれたら有難いが望みは薄いかと長期戦を覚悟して2階の歩廊に座り約1時間。

21時過ぎ。
電光掲示板に"欠航"のサインが点り、カウンターで払い戻しを受けて再び松山駅へ。
戻りのバスに揺られながら地図を開いて運良く駅前の宿が見つかり、続いて駅窓口で翌日岡山発の「ひかり号」乗車の手配がつきました。
有難い事でした。

翌六日目。
始発の予讃線特急に乗り岡山へ。

瀬戸大橋を渡る車窓には瀬戸内の島々が鮮やかに映り、帰路の便が欠航しなければこの景色を見る事も無かったのかと複雑な気持ちになりました。

未だ多くの方が苦しんでおられる事を思うと、何事も無く遍路を巡り生活している事に罪悪感に似た後ろめたさを感じる事もあります。

しかし「明日は我が身」という言葉もあるように、いつどこで何が起こるのか、先の事は誰にも分かりません。

ただ、今、与えられたこの瞬間を精一杯生き切る。
これに集中するより他は無いのだと。

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コメント

  1. 私の場合、遍路中はできるだけテレビを付けずニュースもあえて見ない旅を意識しています。ただ、流石に今回の出来事は無関心ではいられませんよね。今できることとすれば、こんなに近くに神仏があるのでその方々への祈りを行おうと思ったはずです。また、きっと昔の人もそうだったのではと想像します。

  2. @あの時の亀
    コメント有難う御座います。

    私も普段はテレビを見ないのですが、年始早々の出来事にその後の事が気になり、区切り打ちを終えて帰宅してからも暫くは霧掛かったような気持ちを引きずってしまいました。

    神社仏閣を巡り手を合わせて祈るという事が何か無力のように感じた時もあったのですが、震災直後に能登へボランティアに入った友人にその気持ちを話したところ、「祈りはちゃんと届くから大丈夫だよ」と励まされました。

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